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野球に関して

甲子園でも東京六大学でも活躍する山口智久審判員の人間性が素晴らしすぎて感動。2022年9月致知随想より

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おはようございます。こんにちは。こんばんは。夏の甲子園が開催中でタイムリーなことに2022年9月の致知随想で山口智久審判員による致知随想の投稿がありました。

結論から言うと、めちゃくちゃ感動した。これだけ謙虚に本業がありながら休日返上で審判員として全うしておられる人間性に大尊敬です。

 

 

グラウンドの神様

山口智久

私たち野球審判員にとって最も難しい試合とは、炎天下でも凍える寒さでもなく、雨の中での試合です。昨年のあの日もまさにそうでした。

八月十七日、例年にない雨天順延が相次いだ全国高校野球選手権大会五日目。私は球審として大阪桐蔭高校対東海大菅生高校(西東京)の強豪同士の一戦に立ち会いました。

雨脚の強まる中、試合は両校退かぬ接戦にもつれ込みました。「もう中止にして、再試合にすべきか」と逡巡する瞬間は何度もありました。しかし、高校最後の甲子園に懸ける球児たちの並々ならぬ心意気を感じ、とにかく怪我なく、最後までプレイさせたい。その一心で、濡れたボールは丁寧に拭きました。

イニングの合間にはグラウンドを管理する阪神園芸の方々が砂を入れ、状態を改善してくださるなど、球場、大会関係者、控えの審判委員を含む皆さんのサポートを得ながら試合続行のための努力を重ねました。

けれども迎えた終盤八回表、三点差を追いかける東海大菅生の打者が振ったバットが雨ですっぽ抜け、ベンチの前へ飛んだ時、これは怪我人が出ると直感。塁審三名と運営側を交えた何度目かの協議を経て試合を中断しましたが、これ以上が続行不能と判断し、雨天コールドの宣告を下しました。甲子園で二十三年ぶり、無念の結果でした。

果敢に闘った彼らにどう言葉をかけようか。規則書に答えはありません。私は両校の主将をホームベースに呼び、二人の目を見ながら試合終了を伝え、こう続けました。

「この試合を観た子供たちが君たちの高校に入って、甲子園で再戦できるように、ぜひこれからも頑張ってほしい」

自然と出てきた言葉でした。球審として試合を完了に導けなかった申し訳なさと、ベンチにいる選手たちにも何かが伝わればとの思いが溢れました。「ゲーム!」。雨に濡れながらお互い礼をさせ、背後の報道陣に一礼。二人を見送ると体が自然にグラウンドへ向き直り、両校を代表して「ありがとうございました」と深く頭を下げていました。

コロナ禍で無観客試合が増えたこともあるのでしょう。私たち審判員の姿が視聴者の目に留まり、SNSで多くのコメントをいただきました。手厳しいご意見もありましたが、同時に私の選手への思いを汲んでくれる記者の方、「山口球審の対応に感動した」「涙が出た」といった声の存在に心底救われました。

 

明治大学野球部の先輩である善波達也さん(前監督)から東京六大学野球の審判員に誘われたのは二十年以上前。都内のホテルに勤め、結婚して埼玉に家を買ったばかりでした。六大学野球の試合は土日が主です。本社に転勤し、新入社員教育の仕事にもやりがいを感じていた私は、家庭と仕事の両立の難しさから約二年、悩み抜きました。

妻や両親と話し合いを重ね、覚悟を決めたのは、「人間力野球」を掲げる明大野球部で人としての基本を叩き込まれ、OBに就職の面倒を見ていただいた恩があったこと。また伝統ある六大学野球の審判員は各大学ともOB三名までという厳しい人数制限があり、そこに選ばれることは大変な名誉だったからです。二〇〇一年、三十歳の時でした。

分厚い規則書を覚え、五年十年と経験を積む中で「自分はできる」と天狗になりかけた時期もありました。そうした傲りは基本の型からの逸脱、誤審に繋がります。三十~四十代でグッと伸びる人、停滞する人を分けるのは、そこで先輩方の注意を素直に聴き、向上心を持ち続けられるか否かだと日々痛感しています。

一方、先輩の中では、審判員は目立つ必要はない黒子であれという方もいますが、ことアマチュア野球の審判員は選手たちに寄り添い、共に試合をつくり上げる存在であるべきだと私は思います。試合中に「この回が大事だぞ」「ベンチも全員で行くぞ!」と選手目線で声をかけている理由です。それだけで選手たちの雰囲気はよくなる上に、私自身が鼓舞されるのです。

苦しい局面は多いですが、野球には嬉しいドラマもまたあるものです。今年六月、球審を務めた全日本大学野球選手権準決勝。あの雨の甲子園で無念の敗退を喫した東海大菅生の、最後にバットがすっぽ抜けた打者の彼が救援投手として登板していました。あの日からも野球を諦めることなく、投手として格段に成長した姿に触れ、心から嬉しく思いました。

一昨年の夏の甲子園でも忘れ難い経験があります。ある試合で打者の身体に乱れた投球が当たりました。私が試合を止めて打者に確認すると、「僕の避け方が悪かったんです。ヒットバイピッチ(死球)ではありません」と言います。一瞬迷いましたが、打者が避けなかった、ボールと判定しました。その直後の投球、普通は体が委縮して振りづらい球を、彼は何とホームランにしてしまいました。

 

 

野球は時間制限がない代わり、様々な場面に「間」が生まれます。その一瞬にグラウンドの神様が宿り、時に試練を与え、時に味方してくれる。彼はグラウンドの神様に後押しされたのだと思います。

審判員の心に少しでも我が出れば、必ず痛い目に遭います。「走姿顕心(そうしけんしん)」、走っている姿に心が顕れるという言葉がありますが、どういう気持ちでジャッジしているかは選手たちに伝わります。だからこそ心を磨き、人間力を養う必要がある。そんな品位を備えて初めて、ただの「判定屋」ではなく、選手に敬意を表され、神様に応援してもらえる審判員になれることを、未熟な自分の肝に銘じています。

(やまぐち・ともひさ=東京六大学野球連盟審判員)

 

審判員からの声掛けの是非は

ぶっちゃけたところ、審判員から守備につくときの声掛け(追い出しと言う)はどうなのかな?と思うところが自分はあります。

  • 「寄り添ってくれるような言葉」をかけてくれると心にゆとりが持てる
  • 「慌てなくていいから」のような声掛けをしてくれる審判員が増えた気がする
  • 言われすぎるとウザい
  • 「この回大事」とかゲームの話はいらないかも
  • ポジティブな声かけであれば、「良い人だなぁ」という感じで見ています。なので特に嫌な気分はありません。
  • 大差でのビハインドの時ボールを渡してくれる際に「ピッチャー頑張れ」などポジディブな声かけをしてくれることが多いので有難く感じます。

など、身近な現場の方々に聞くと、ご意見を頂戴できました。自分自身も野球の審判をするので、意識してやっていこうかなと思います。

 

一昔前は、本当に「急いで!」や「(早く行きなさい的な)頑張ろう!」が多かった気がする、とも聞きました。

自分が高校球児だったころは審判員のことは一切考えてなかったし、もしかしたら気遣いもあったかもしれないし、うるさい言葉がけもあったのかもしれませんが、全然慮ったことがなかった。それくらい審判さんは黒子に徹してくれていたのかもしれません。

 

反対の立場に立って考えてみると
これまでどうしても
解けなかった問題が、
不思議なほど
すらりと解けてくる。

長谷川克次(名南製作所創業者)

 

英雄は、自分のできることをした人である。
ところが凡人は、できることをしないで、
できもしないことを望んでいる。

ロマン・ロラン(フランスの作家)

 

失敗の最たるものは、
失敗したことを
自覚しないことである。

トーマス・カーライル(イギリスの思想家、歴史家『英雄と英雄崇拝』)

 

もっと早くアップしたかったですが、後手後手になってしまい、今日は準決勝が行われ、明後日がいよいよ夏の甲子園の決勝。宮城県代表の仙台育英高校と山口県代表の下関国際高校の一戦。

どん底からの甲子園・タイムリー編集部・編(辰巳出版)をもう一度読み返しております。どんなチームにも物語はあると思うけど、土台を作り始めるところ、本当に大変どころではなかっただろうなと思っています。どっちも顔晴ってほしい!!

ありがとうございました!素敵な一日になりますように。

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ただお

ダンクに憧れをもつバスケ初心者。 30代。2児の父。 野球や娯楽、たまにFXも嗜む。 ピンチのそばで笑って過ごす。

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